Yusuke Hanai / 花井祐介

Artist “YUSUKE HANAI” ロング・インタビュー

Artist “YUSUKE HANAI” ロング・インタビュー

2000年前半よりキャリアをスタートさせ、
オリジナリティ溢れる作品を発表し続ける花井祐介。
どこかおかしく、ペーソスあふれる作品に、心揺さぶられた人も多いだろう。
BEAMSやVANS、GREGORYなど、数多のプロダクトも手がけ、その人気も高い。
そんな花井祐介はどんな人物なのか。作品の話はもちろん、これまでの経歴から好きは音楽まで、多方面から様々な話を聞いたロングインタビュー。

—— Weekend Session(以下WS):そもそも絵に興味を持ったのは?

花井祐介(以下YH):そこからですか?(笑) 子供の頃から絵は好きで、ずっとキン肉マンばかり描いてました(笑)。喘息持ちだったし、外で遊ぶというより、ずっと画用紙に絵を描いているような子供だったので。

—— WS:じゃあ、昔から絵をやりたいと思っていたのですか?

YH:でも、実際に絵で仕事をしたいと思っていたのではなく、ふざけて描いていただけで、美大に行こうとか美術系の専門学校に行こうとか、特に考えていなかったので。ただ、だらだら、のうのうと生きてて。

—— WS:でも、サンフランシスコのアートスクールに通っていましたよね。

YH:友達が高校生の時にバイトしていたカフェのオーナーに、友達みんなでサーフィンを教えてもらっていたんです。成瀬さん(The Road and The Sky、surfersのオーナー)ですね。で、僕らが19歳くらいの時だったかな。成瀬さんが、お店をやるから手伝ってくれと言われて、みんなで穴掘って基礎を作って、壁立ててThe Road and The Skyを作ったんです。で、その時にその中で一番絵が得意そうなのっていうことで、俺がメニューを描いたり、看板描いたりしていました。で、The Road and The Skyでバーテンダーのバイトをしながら、ずっとイベントのポスターを描いたりと、5年間くらい働いていて。やがてそういう絵を描いたり、ポスターを作ったり、メニューを描いたりするのが面白くなって、そういう仕事をしたいし、そういう勉強をしたいなということで、サンフランシスコに行って、アートスクールに留学したんです。

—— WS:なぜサンフランシスコだったのですか?

YH:21歳の時に、サンフランシスコからメキシコまでバックパック一つで、グレイハウンドの長距離バスに乗って旅をしたんです。その中で一番好きな町がサンフランシスコだったっていうのもあるし。そもそもサーフィンを始めた時に、先輩たちにアメリカン・カルチャーの影響を受けて、それこそビートニックだったり、ヒッピーカルチャーだったり、そういうのに影響を受けて、そういうところを見てみたいなと思ったこともありました。その頃ちょうど、relaxっていう雑誌とかで、よくバリー・マッギーだったり、クリス・ヨハンソンとかを取り上げてて、彼らもサンフランシスコにいるんで、そういうところを見てみたいと思ってました。だからそもそもサンフランシスコからメキシコまで行ったんです。そうしたらサンフランシスコが一番面白かった。できたら住んでみたいなと思いました。絵の勉強をしたいなと思ったのも、もう23、4歳頃だったし、日本の大学に行くのもなかなかハードルが高いし。だから、どうせならアートスクールで行ってみたい、(削除)住んでみたかったサンフランシスコのアートスクールに行ってみたいと思っていったんです。

—— WS:英語に対するコンプレックスとかはありましたか?

YH:語学力はゼロでしたけど、初めは英会話学校に行って、半年後は普通に大学の授業を受けられるくらいのレベルになったんで、そこからアートスクールに行きました。

—— WS:アートスクールは何年間いたんですか?

YH:そこから半年くらいでお金が底をついたんですよね。だから授業は基礎しかやってないです。それで一年経って、日本に帰ってきたって感じですね。

—— WS:帰ってきた後は絵を描く機会はあったんですか?

YH:いえ、日本に帰ってきても仕事はありませんでした。アートスクールは卒業もしてないので、全然絵での就職先もなかったから、ペンキ屋で働いたり、看板屋で働いたりとかしてて、引き続きThe Road and The Skyの看板とかポスターを頼まれてやったりしてたんですけどね。でも、サンフランシスコから帰ってきた次の年に、グリーンルームフェスティバルが始まったんです。その時The Road and The Skyもフードブースを出してて、そのためにメニューとか看板を描いてくれと言われて、それで描いたんですよね。グリーンルームフェスティバルは、元々アメリカで行われていたムーンシャインフェスティバルが母体となっていて、それを日本に持ってきたみたいなフェスだったんです。そのムーンシャインフェスティバルを主催していたのが、カリフォルニアにあるギャラリーを経営していたウィルという人で、ウィルはその時来日していて、僕の絵を見て、「お前の絵は面白いけど、どこかに絵は飾ってないのか」って言われて、僕はその時「ただ単にお店の看板を描いただけだ」って話をしたら、お前の絵は面白いからギャラリーに送れと言われて、それから作品作りを始めたんです。

—— WS:その作品はサーフギャラリーに飾ってもらって?

YH:そうですね。何点か作品を送って、その半年後くらいに連絡があって、「お前の絵が売れたぞ」って言われて「どんな人が買ったの」って言ったら、J.P.プルニエさんという人でした。彼は元々ベン・ハーパーとジャック・ジョンソンのマネージメントをやっていた人でした。で、そんなこともあって、そのギャラリーがやるグループ・ショーに毎回呼んでもらえるようになったんです。ニューヨーク、パリ、ロンドン、オーストラリアなどで展示してもらいました。そんなんでちょっとずつちょっとずつ描く仕事が広がっていきました。

—— WS:それはハプニングというイベントですね。

YH:そうです。ハプニングです。全ての会場には行ってないですけど。ニューヨークとパリには行きました。

—— WS:確かブラジルにも行ってましたよね。

YH:ブラジルはハプニングではないですね。ブラジルに新しくできる美術館に作品を置いて欲しいと言われて行ったんです。そこでマトソン2(花井は彼らを双子と呼んでいる)もライブをやっていて、そこで彼らと知り合いました。彼らのライブと僕が絵を飾るというタイミングが一緒だったんです。

—— WS:ただ、絵を描き続けてたけど、初めの頃はお金にはならなかったでしょ?

YH:そうですね。その時は普通に会社員として働いていました。ウェブの広告代理店でデザインをやりながら。

—— WS:いつ頃から描くことで収入を得られるようになったんですか?

YH:そうですね、本当にやめる…。う~ん、どうだろうな。本当にその会社で働いていた最後の方は大変だったですね。会社と作品制作のと掛け持ちで。でも、全然自信はなかったからなぁ。いつ頃?う~わかんないですね。じょじょにだったからなぁ。でもビームスとかの仕事が来だしたのは、え~っと、2010年頃だったのかな。もっと前だったかな。でもビームスから話が来たのは早かったですね。それこそハプニングで展示していて、会場にちっちゃく僕の名前が載ってるだけだけど。その中に日本人の名前があるというのでコンタクトしてきてくれて。で、Tシャツをやろうって言ってくれて。ビームスとかでTシャツをやらしてもらうようになって、ちょこちょこ仕事ができるようになってきました。それが仕事として飯を食えるようになったって感じはありましたね。

—— WS:最初の頃って花井さんのキャラクターがいましたっけ?

YH:最初の頃は波を描くことが多かったかもしれませんね。でも、キャラクターはいましたよ。一番初めから。それこそウィルが初め俺のことを見つけてくれた時は、サーファーの絵を描いてるのを見てって感じでしたからね。アンディ・デイビスとか、ジェフ・カナンとか、ウルフギャング・ブロックとか、すぐそこにいた人たちも僕の作品を見て、僕の描いた人の絵を見て気に入ってくれたので。それこそ「お前、リック・グリフィンの絵が好きだろう」とかって感じだったんで。

—— WS:花井さんの作品って、日本人離れしているように感じます。アメリカンテイストを感じんですよね。

YH:まぁ、好きなものがそれだって感じで、アメリカンカルチャーが好きだったというのもあるし。子供の頃からトムとジェリーが好きとか。だから、日本の人からはアメリカっぽく見られるし、アメリカの人からしたら日本人の絵は独特で面白いって言われるし。

—— WS:花井さんはサーフィンをやってるいますよね。サーフィンの影響が作品に現れることってありますか?

YH:サーフィンは好きです、自分はサーフ・カルチャーの中で見つけてもらったと思うのでもちろん影響は受けていると思います。
でもサーフィンの絵をかいている訳ではないですね。そもそもサーフアートと言う言葉が大嫌いですし。自分の絵を描くテーマとしてサーフィンをしている絵というのに興味がないし、面白みが感じられない。それよりもサーファーの普段の生活の方が絵の題材としては興味があります。
サーファーってやっぱり強烈じゃないですか。個性が強いというか。人間味があるというか。なんかそんな人を描く方が面白い、人のキャラクターを描く方が好きですね。

—— WS:キャラクターにはモデルがいますか?

YH:まぁ、そうですね。なんとなくこんな人はいるよねっていう絵が多いと思います。

—— WS:花井さんの作品には、どことなくポーカーフェイスだったり、シニカルな感じの人が多いですよね?

YH:う~ん、難しいですね。なんかね、笑えた方がいいなというのはありますね。あと、よくなんで笑顔じゃねえんだって言われるんですけど。そんな常にニヤニヤしてる人っていないじゃないですか。

—— WS:確かに。

YH:やばい人じゃないですか。常に笑ってる人って。それよりもなんか、みんな常にいいことばかりじゃないし、失敗して後悔することが多いけど、それをネタにして笑えるところに強さがあるというか、みんな何かあっても、次は頑張ろうってしてるじゃないですか。だいたい僕が描いてるのは、俺もお前もそんなことしちゃうよね、落ち込むよね、でもみんなそんなもんだよって、そんな日々の細かいことなんです。

—— WS:花井さんの作品には、よくニット帽をかぶってる人がいるでしょう。それが時は花井さん自身に見えるんですね。

YH:あははっ(笑)。よく言われるんですけどね。自分は描いてないですね。自分が出るのはあんまり好きじゃないから、自分のことは描かないですけど。でも、よく言われますね。似てるって。でも自分を描いてるわけじゃないです。

—— WS:花井さんの絵のテイストは、レトロな感じがするんですけど。

YH:意識して描いてるわけじゃないですけど、たぶん、元々好きだったものとかの影響でそういうことになっているんでしょう。やっぱり自分が影響されたものが無意識に出てくることって多いんじゃないですか。

—— WS:花井さんが作品を描き始めた少し前の頃って、レトロサーフィンというか、昔ながらのサーフィンがまた脚光をあびるようになってきて、ジョエル・チューダーとか若きレジェンドも出てきたじゃないですか。そんなレトロサーフィン・レボリューションというか、そんな影響も作品作りに反映されているような気がするんですけど。

YH:それはあると思います。サーフィンでも、僕は最先端のサーフィンとか好きじゃないし、コンペとかも興味ないし。それよりもなんか60年代とまではいわないけど、昔のサーフィンの方が見ていてかっこいいと思うし。

—— WS:それでレトロ感が出てくるんでしょうね。

YH:あとは音楽。それこそ60年代、70年代の音楽が好きで、そういうものをよく聴いてたりしてて。でそういう頃のサーフィン・カルチャーが好きで。僕が若い時にサーフィンが始めた頃って、だいだい怖そうな音楽を聴いてる人しかいなかったですね。ヒップホップぽいのとか、ハードコアやメロコアとかばっかりで。僕はなんかそういうのにあまり興味がなくて。なんか自分がこんな格好でいいのかなって感じだったですけど。長髪でボロボロの501にちっちゃめのTシャツやネルシャツとか。いなかったじゃないですか、昔は。なんか腰パンでキャップを斜めにかぶって、ブラックフライのサングラスかけてみたいな中で、自分はそうはなれないなと思っていました。そしたら、そんな時にジョエル・チューダーのロングボード・リバイバルがあって、その後に向うでレトロ・サーフみたいなのが出てきたりとか。あぁ、自分もこんな好きな感じでもいいんだった感じがあったんですけど。自分が描き始めた頃に自分の好きな人たちが出てきたんですよね。

—— WS:ちょうどタイミングがあったった感じですね。それで海外でも花井さんの作品を見る人は、どっかでそんな感じを感じとっているのかもしれないですね。

YH:まぁ、そうですね。どうなんですかね。どういう風にみられてんのか…。

—— WS:これまで自分の中で、描いていることが変わってきていることは?

YH:変わってると思います。前に描いた作品とかはどれも好きじゃないんで。もう、愛着とかもわかないですね。自分の過去に描いた絵に関しては。なんでこんな感じだったんだろうって。今のとこは過去の作品を見たら、後悔といったら変だけどい、今だったら描かないなというのばっかりですね。

—— WS:それは向上心?

YH:どうかわかんないですけどね。そんなに向上心のある人間でもないと思うんで。

—— WS:でも昔のを見ると、懐かしいとか。

YH:まぁ、懐かしいですけど、それよりも恥ずかしい方が強いですかね。

—— WS:ミュージシャンでも、昔の作品は恥ずかしいという人は多いですよね。

YH:そうなんですか。ミュージシャンって。ずっとあれじゃないですか。ミュージシャンは売れてる曲をやらないとダメっていう感じがあるから。逆にミュージシャンの人って、詞も描いてて、自分の気持ちを、20代の時の気持ちを40代になっても歌わなきゃいけないんだったら、大変だなと思ってたんですけど。

—— WS:昔の気持ちが稚拙なものだから、恥ずかしいと思う。

YH:でも、求められるから大変ですね。こっちは徐々に徐々に変えていってるんで、昔みたいな絵を描いてて言われないから。

—— WS:今の絵に関しては自分はすごく満足していますか?

YH:いや、そんなこともないと思いますけどね。飽き性なんですかね。

—— WS:描きたい気持ちは常にある?

YH:そうですね。描くのは、絵を描くのは好きなんで。あとはありがたいことに、描かなきゃいけない状況になってるので。

—— WS:生み出すのって大変じゃないですか?

YH:そうですね。だから最近はちっちゃい絵とかを数多く描くのって大変ですね。ちっちゃいの10個だったら、おっきいの1個ににしてもらいたい (笑)。アイデアを絞り出すのはが大変ですね。

—— WS:絵を描くのにインスパイアされるものってあるんですか?

YH:何かにインスパイアされるというのは、人を見たりすることが大きかもしれないですね。

—— WS:人間観察とかしてる?

YH:そうですね。それこそバーで働いてる時は、いろんな人が、変な人がたくさんいたから面白かったですね。

—— WS:自分の作品ってメッセージ性があると思いますか?

YH:メッセージ性があると思ってもらうと嬉しいですね。自分の中では、一応ある程度はいろんなストーリーを組んでやってるんですけど。なんか喋るのが、喋ったり文字にしたりするのがうまくできないんで、それを一応、絵には描いてはいるんですけど。こんなインタビューを受けててあれなんですけどね(笑)。喋るのは苦手ですね。

—— WS:今、発信したいことってありますか?

YH:いや、それはその時々によって違うし、その絵によっても違う。その絵がどこに出るかによっても違うだろうし、その時によって違うと思います。その絵一つ一つによって違うと思います。

—— WS:今年のグリーンルームフェスティバルでは、海のマイクロプラスチックのゴミのことを描いていましたよね。あの時は全ての絵がたった5分で売れたけど、手に入れた人にそのメッセージは伝わって欲しい?

YH:まぁ、ある程度は。もう絵の内容は買った人に任せてます。どう見るかは。絵を見て感じることは、買った人にというか、見る人に任せてるというか。自分からこうこうと説明することはあんましないし、絵を見る楽しみってそれじゃないのかなと思います。説教くさく、わざわざこの絵はこういう意味がと言われたところで、う~んって感じじゃないですか。見て、勝手に。自分の感じ方や考えでいいんじゃないですかね。でもまぁ、グリーンルームの時は、明らかにプラスチックゴミの問題について描いたんで。

—— WS:グリーンルームは特別だったんですか?

YH:なんかグリーンルームって、もともとはそビーチカルチャーとか、サーフィンとか、そういうことで始まったイベントだけど、今では、客層も変わって、イベント自体もおっきい音楽フェスになって、大成功じゃないですか。それはそれで素晴らしいと思うけど、でもせめて初めの方から出てる僕らは、元々こういうイベントで、しかも元々サーファーとかスケーターしか集まってなかったイベントだからという思いで描いたんですよね。そんな海の環境がどうのといったところで、サーファーとかは知ってるよって話じゃないですか。でも今はそういう人じゃない、まったく海の環境とか考えないような人達とか、若い人たちが来る場になったから。だからこそ、あの場であぁいうことを言う意味があるのかなって。そう思ってここ数年は、だいたい海の環境問題のことをテーマに展示しています。グリーンルームの時はそうして描いてますけどね。だからといって、普段の作品が全部環境問題とかそう言うことでもないですし、そんな説教くさいアーティストもつまんないじゃないですか。

花井祐介

50~60年代のカウンターカルチャーの影響を色濃く受けた作風は、日本の美的感覚とアメリカのレトロな イラストレーションを融合した独自のスタイルを形成している。シニカルでユーモアたっぷりなストーリーを想起させる作風は国境を越えて多くの人達に支持されアメリカ、フランス、オーストラリア、ブラジル、台湾、イギリス等様々な国で作品を発表。現在までにVANS、NIXON、BEAMS 等へのアートワークの提供など、国内外問わず活動の幅を広げている。

http://hanaiyusuke.com/

Yusuke Hanai / 花井祐介
最新情報をチェック!